呉 本 幸造:知られざる先駆者の軌跡
戦後日本の産業発展を支えた人物の一人である呉 本 幸造(くれ もと こうぞう)は、1918年山口県生まれ。機械工学の分野で数々の特許を取得し、特に精密歯車製造技術の革新により「日本のものづくり基盤形成に貢献した技術者」として関係者の間で語り継がれています。
技術者としての歩み
1943年東京帝国大学工学部卒業後、軍需工場で切削工具の研究に従事。終戦後は民間企業で自動車部品の生産ライン改良に着手し、1952年に開発した「多軸連動加工機」が日米で特許を取得。この技術が後のNC工作機械開発の礎となりました。
主な功績
- 歯車加工精度の国際標準策定への参画
- 中小企業向け省人化設備の開発
- 技能継承システム「匠塾」の創設
教育者としての顔
1968年から母校で非常勤講師を務め、「現場知」と「理論」の融合を提唱。自ら執筆した『精密加工の真髄』(1975年)は技術系学生の必読書として現在も版を重ねています。1983年に藍綬褒章を受章した際のインタビューで「技術者の使命は社会の要請を先取りすること」と語った言葉は、現代のエンジニアにも受け継がれています。
「0.01mmの追求が文明を進歩させる」
― 呉 本 幸造 1978年講演より
1995年に永眠した後も、彼が設立した技術研究所では新たな加工法の研究が続けられており、近年では航空宇宙分野への技術応用が注目されています。ものづくり大国日本の礎を築いた技術者の足跡は、現代の製造業が直面する課題解決のヒントを数多く残していると言えるでしょう。